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2013年5月23日 (木)

おわかれ。

バタバタと忙しい2日間でした。

自宅での入棺の最中、祖父の部屋にあった掛け時計が“ボーン”と4回なりました。

元々はリビングにあった掛け時計。

私がもの心ついた時にはあった掛け時計。

祖父が聞く最後の時計の音でした。

去年の4月、病院で握手した力強い右手が硬直してるのを見て泣きそうになりました。

近しい人だけで行われた入棺。

顔か手か足を拭いてあげる時、施主である父は顔を拭くよう言われ、母も妹も顔を拭いていました。

でも私は、あの時握手した右手をソッと拭きました。

棺の中には、病気になってからやめていたタバコを一箱。

そして、晩年の楽しみだったパチンコに行く時に持っていた財布を入れました。

父がその準備の為に財布を開けた時、中には1枚の紙切れが入っていたそうです。

そこには“自宅”の文字と住所。

入院するたびに『俺は病人じゃねー!』と看護士さんを困らせていた祖父だけど、

万が一家がわからなくなったら・・・

そんなことを考えていたのかもねと。


お通夜。

斎場に着いてまずびっくりしました。

広い斎場ではなかったけれど、お花と盛りかごがびっしりと・・・

担当の職員さんも『こんな大きなお式ないです!』と言ってくださいました。

式の30分前に到着した祖母も、思わず『うちのじーさま人気あったんだなー』と。

今日の告別式では、菩提寺の住職が最上級の衣を着てくださいました。

出棺の準備の際、司会の方が語ってくれた祖父の話。

本当は始まる前に文章を確認してほしいと言われたけれど、父は自分たちも式で初めて聞きたいからお任せしますと確認しませんでした。

私が生まれる前、小さな町で議員を務めていた祖父。

その後も町のため、人のために尽力してきた祖父。

家でゆっくりすることも少なく、父は遊んでもらった記憶はないそうです。

でも、私と妹のことは本当に可愛がってくれました。

司会の方の『お孫さんとよくドライブに行かれたそうです。』という言葉で、涙が止まらなくなりました。

妹がまだ小さい時は、毎日のように祖父の車で2人で出掛けました。

毎日通るお寿司やさんまで来ると、私は決まって『そろそろ“やぎりのわたし”歌おうか。』と、

祖父が好きだった歌を一緒に歌っていました。

今となっては、出だしと、サビのタイトルと同じ歌詞の部分しか思い出せません。

叔母たちとの確執もなかった頃。

叔母が経営する保育園の遠足にも、いつも祖父と2人で参加させてもらいました。

食前に必ず瓶ビールを1本飲む祖父。

ビールをつぐのは私でした。

今ではお酒一滴も飲めないのに、溢れてくる泡を少し飲むのが好きでした。

いなくなって改めて思い返すと、私は本当におじいちゃん子でした。

祭壇に飾られた写真は免許証の写真。

だいぶおじいちゃんな写真だけど、まだふくよかな、元気だった頃の写真。

でも遺影は、本人の意志で40年前に描かれた肖像画でした。

若々しく、凛々しく、議員バッジをつけた祖父の肖像画。

ずっと祖父の部屋に飾ってあったのは知っていたけれど、今回肖像画と聞かされるまで写真だと思っていたくらいのクオリティのものです。

その遺影を持つのが、私の役目でした。

父の挨拶。

自宅をリフォームしたのは車椅子になった祖母のためだとばかり思っていたけど、

祖父がいつ戻ってきてもいいように、

そのためでもあったと初めて知りました。

また涙が止まらなくなりました。

初七日の法要も、納骨も、全てを終わらせました。

夜、介護ホームから帰宅した祖母。

祖母のベッドの正面には祖父の祭壇。

生前、必要最低限のこといか会話しなかった祖父と祖母。

祖母はしばらく、『いい式してもらったなー。』と涙を浮かべながら祖父と話をしていました。

知らせを受けた時は全く実感がなかったけど、

今実感が一気に押し寄せてきています。

でもまだこれから。

四十九日もある。

初盆に関して言えば、去年亡くなった伯父も初盆だし、近所でも数件の初盆。

頼れる身内はいません。

今年はいつもより、実家に帰る日数が多くなりそうです。

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